藤原正彦さんの「国家の品格」を読みました。
もう1年以上も前から読みたいと思っていましたが、やっと今日読み終えました。
私は、明治生まれの祖母に6歳まで育てられたので、ある意味 もったいない 精神を刷り込まれて、育った時代でした。
そんなことをしたら「ばちが当たる」「お天道様が見ているよ」「卑怯だよ」
など、よく聞かされて育った人間です。
だから、この本の意味が、何となくわかり、ある意味共感を覚えました。
はっきり言って、この本を一回読んだだけでは、100パーセント理解出来ているわけではなく、部分部分であっそうだな〜と共感をしているのですが、
例えば、小学校の基礎学習においては、詰め込み教育が悪いとして、ゆとり教育が出てきたわけですが、結局のところ、また、ゆとり教育の見直しを余儀なくされていますよね・・・
何故こんなことを覚え無くてはいけないのか、そんなの無駄だと、合理的に考え、受験のための勉強だけをしている、小学生。
いい中学に入り、いい大学に入ることももちろんいいのですが、無駄なことをしてこなかった社会人が、あまりにも今の日本に多すぎると思います。
社会人になって、何大学出身と顔に書いてあるわけじゃなく、話しをしてみて、相手を評価するのでは無いでしょうか?
その人の話し方や話しの内容や態度、表情で相手を評価すると思います。
日本のとっても優秀な人達が審議に審議を重ねて作った教育方針を、これは失敗だったと、すぐに変えてしまうほど、日本人の精神が、弱く脆くなっているような気がします。
そういう大人のやり方が、今の子供達の見本かと思うと、子供たちの成長過程において、子供達の精神が揺らぐのは、大人社会をみての結果としか思えません。
日本たる国が、確固たるものでないと感じた子供たちが、いじめや不登校、ニートやパラサイトシングルの鎧の中に、身を隠しているいるように私は思います。
日本の子供たちを救うためにも、大人社会がしっかりしないといけないのですが、この濁った大人社会を浄化してくれるのは、今の子供達の教育如何です。
従って、日本の子供たちを救うのではなく、今の子供たちが大人たちを救うために、どんな教育が必要か、養育審議会は考えなくてはいけないですね。
久しぶり(本当にダメな管理人です)に、更新しました。
毎日のように、虐待やいじめや殺人事件の記事が新聞紙面を飾り、テレビではいつもコメンテーターが怒っているのを見ると、日本という国がなんだか情けなくって、自分ひとりの力ではどうしようもないと自分の非力を感じます。
先日研修会で東京大学に行ってきました。初めて例の赤門をくぐりました。さすがに東大は広いですねぇ〜。
ミーハーおばさん(私)は安田講堂を携帯電話のカメラに収めて、ひとりぶらぶらと時間まで、あちこち見てまわりました。日曜日だったので、学生さんは少なかったのですが、皆狭き門をくぐってこの学校に、ちょっぴり優越感に浸りながら、通っているんだなと、ある意味うらやましく思いながら、研修会場にはいっていきました。
今回のテーマは「不登校・引きこもりの解決シリーズ」でした。
今日のNHKテレビでやっていましたが、学校に親からの電話がかなり多いとのことでした。それも自分の子どもに対しての注文や先生が自分の子どもに対して行った言動についてや、クラス替えの人選や先生への注文など、あらゆる不平不満を先生に言って、改善を要求しているのを、テレビを通してみていると、日本の行く末を案じられます。
子供が学校に行っていろいろ問題を抱えて帰ってくるのは、今も昔も変わらないと思いますが、以前は、親は聞き流すことの術を知っていました。が、今は親子一心同体になってしまっています。子が話した事が、親は自分のことのように感じ、子と一緒に怒ってしまいます。子供同士で解決できる問題も、親が入ることによって、余計事が大きくなるケースが多々あります。
「かわいい子には旅をさせろ」『三つ子の魂百まで」「隣の芝生は青い」どれも昔から言われていることわざですが、学校教育の中に、そろそろ子育て教育も入れていかなければいけない時期に来ているように思います。
不登校にしろ引きこもりにしろ、心を育てていく子育てをやって行かないと、決してなくなるものではないと思います。
その場その場の対症療法でやっていっても、大きな流れは変わりません。今の子供たちが大人になったときに、いい子育てが出来るように、子供達の教育課程の中で子育ての術を教えていくことが大きな流れを変えることになるのではないでしょうか?

